リュックエルダー的、叱り方考察

出来の悪い私はゴスのヒーラの中で、1番叱られていると思う。(多分)
それでもめげずに、4-5年ほど血盟戦をしています。

Black6代目盟主に就任してからは、
叱られる側だけでなく、叱る側にも立たないといけない訳で、
今まで、数えきれないくらい叱られてきたからこそ、
叱るということについて深く思うことがある。
それは、叱ることと解決案はセットで必要だということ。


例えば…
ヒーラでいうと「リザおせーよ」と言われるケース。
仲間側からすると、私のリザが遅かったことについて叱っている。
ヒーラ的には、仲間が死んでいることくらいわかっている。
出来る事ならすぐに起こしたい。
でも、

  • 敵側ナイトや他ATKの集中砲火+魔法封じで、すぐにリザできない
  • リザもマスリザもディレイ中で、ディレイが戻るまで1回後方に引いた
  • 今、このタイミングでリザにいけば、自分も死ぬ
  • 今リザに行くと、他の仲間と離れてしまいヒールをまわせずPTが崩れる
  • 空中束縛やオリに入れられてしまい、身動きできない

といった状況にいることも。
1人をリザにいく間に別の人が死んだり、PTが崩壊しては意味がありません。
そりゃ敵だってリザさせたくないから、阻止しにくるのは当然。

そんな中、「リザおせーよ」と叱られたヒーラは、
すぐにリザに行けないことを後ろめたく思う気持ちもあるので、何も言えません。
例えここでヒーラが「こんな状況だったから」と説明しても、
言い訳と受け取られることが予想できるため、結果、沈黙することに。
こんなヒーラさんは、どこの鯖にも沢山いるかと思います。


まとめると…
早くリザしてほしかったATK、リザにいけなかったヒーラ。
「リザおせーよ」と叱ったATK、沈黙したヒーラ。

この例の叱り方の場合、何がダメなのか。
リュック的考察を以下に綴ります。


   *   *   *


叱る目的

叱る目的は、その先の改善を目指すためのものだと思います。
この例の場合は、PTを維持しつつ、迅速にリザをまわすことが目指す所のはず。
リザが遅いと感じた人とヒーラとで改善案を考えることができれば、
ATKもヒーラも一緒に成長できると思う。
もちろん、互いの立場や状況を鑑みることも重要。
目指す所が同じ人の話し合いは、前向きで双方受け入れやすく信頼関係も強くなると思う。


しかし「リザおせーよ」の例の場合、自分が死んだ事に対してイライラしている。
結果、その勢いで人に怒りをぶつけている可能性が高い。いわゆる八つ当たり。
なぜ八つ当たりだと思ったのか?どこでそう思ったのか?を考えた所…
「改善案がない叱り(怒り)だったから」です。


叱るときは、改善案もセットで必要

「改善案くらい自分で考えて早くリザしろ。」
と思う人もいるかもしれませんが、これが間違い。
なぜ間違いかというと、早くリザするだけなら、PTが崩れようがどうなっても、
その人にだけ早くリザをまわせば「怒られない」からそうするだけになるから。
誰かに「早くしろ」とだけ伝えて、後はその人任せ。まるなげ。では、
本当の意味での解決にはなってないません。

仮に立場をかえて、もしもヒーラ死んだ時、ATKに
「早く私を起こせよ、起こす方法くらい自分で考えろ」と言ったとしたら?
何かが前向きに進んだとは到底思えません。
お互いに腹立つ状態が続くだけ。ではないでしょうか。

つまり、改善案がない叱り・怒りは、
ただ自分のイライラを誰かにぶつけているだけで、問題解決にすらなっていません。
さらにそんなイライラを聞いている周囲は、かなりいやな気持ちになります。
そうならないためにも、叱る時は解決案がセットで必要です。


改善案がわからない場合は?

「俺はATKだから改善案なんてわからない」という場合は、
「リザおせえよ」と叱るよりも、
「どうしたらもう少し早くリザにこれそう?」と、
本職のヒーラと話し合うのがいいと思う。
その先の改善を目指すことが重要なのだから。


話し合いが億劫(おっくう)な場合

もしも話し合うことに気がすすまず億劫なら、ヒーラを信じたらいいと思う。
例えば「サリナの判断なら仕方ない」という感じで。
私としては、信じてもらえるのが1番嬉しいけどね。
「信じてるけど…あれ?」と思ったり疑問がある場合は、
どうしてそうしたのか、叱る前に尋ねるのが、思いやりでありマナーだと思う。


叱る場所

それでも何かの事情で叱ることが必要な場合は、
同盟チャではなくwisで、といった配慮も必要だと思う。
この配慮は、仲間へのものという意味でも。

みんなの前で叱る場合、叱るというよりも、
もっといい解決案を探すための意見交換とか、前向きな話がgoodかと。
仲間の意見を聞かずに暴走した場合は、仲間の前で叱ることも必要だろうけどね。


最後に

人は、自分が叱られてきた環境を相手に置き換えて叱る節あると思う。
「自分はそうやって叱られて改善してきたから、
同じ叱り方をすれば相手も反省して改善するだろう」と。
だけどみんな生まれも育ちも違う。
当時にその人を叱った人は、その人の性格や状況を鑑みた「叱り方」であり、
相手や状況にあわせて、言葉も叱り方もかえているはずだから、
自分ならこうだったのに。というのは上手くいかないと思う。
それに問題に対する解決案も違うのだから。

あと、叱りに対して反論があった場合、論破すればいいって考えもよく聞きますが、
論破することで、問題が解決してミンナ目的にたどり着けるの?
下手に論破して恨まれている人、リアルでも結構いるんじゃないかな。
論破よりも必要なものは、賛同と協力だと思う。

と、偉そうなことを書きましたが…
人間、誰もが100%間違いのない完成品として作られたわけではない。
誰もが至らない所があることを認めた上で、一緒に補い合えるといいね。


リュックエルダー的、叱り方考察” への4件のフィードバック

  1. 長らくPvPをしている私から結論を書かせていただきます。
    大規模戦争と違い、血盟戦においては個人プレーが得意な方が多い傾向にあります。
    要するに個性が顕著に現れるのが血盟戦の醍醐味であり目玉です。
    ATK側に共通して徹底すればいいこと、それは全ての結果は自分の責任と捕らえる習慣を身に着ける。
    既にうまいプレイヤー、成長が著しいプレイヤーはこうした結果にたどりついています。
    自己責任だからこそ、改善策を導き出せるからです。誰かに改善を求めるのはその範疇外であるべきです。

    以上

  2. バーツさん
    全ての結果は自己責任、これは私も同感です。
    例え無理交戦で負けようと、戦う選択をした自分の自己責任。
    自分で反省し腕を磨く人はずば抜けて上達されていますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です